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Pontrfract 城

 ウィリアム征服王(William the Conqueror)が家臣のデレイシー(de Lacy)に与えた城で、1086年の土地台帳(Domesday Book)にている。


 1311年にヘンリー(Henry de Lacy)が死んでトマスランカスター(Thomas Lancaster)伯の城になった。1322年、トマスはエドワード2に反抗したため、逮捕されてこの城に幽閉され、後処刑された。 ダンスタンバラ(Dunstanburgh)城参照。
 1399年にはリチャード2がヘンリー・ボーリングブローク(Henry Bolingbroke)に譲位した後、ヘンリー4世によりこの城に幽閉され、餓死させられた。

 この他にもリヴァース(Rivers)伯はリチャード3世の命でこの城に幽閉された後、処刑されている。
 ロンドン塔同様に血の歴史が見られる城である。

 

 内乱(Civil-War)時代には、3回王側の城として包囲された。クロムウェル自身が異常に頑丈な城と報告しているが、結局敗れて徹底的に破壊された。そのため当初の形態は良くからなくなった

 モット(Motte)は自然の小山を利用しており、天Keep)部分は3個の大小の半円が雑然と接合した不思議な形態をしていたと推測される。外壁は残っていない。中庭には教会の礎石が残る。現在は芝生の公園なっている。
 ポンティフラクトは、中世にはポンフレーと呼ばれた城下町。昔の絵図を見ると高台に聳え立つ城がるばかりで周りには民家も少なく、遠くからでも存在を窺える巨大な城であった。

 1471年に、エドワード4世は亡命先のフランドル(Frandle)からヨーク(York)経由でサンダル(Sandal)城に向かう途中、ポンフレーを通過した。その際、ここに陣取っていたモンターグ(Montagu)侯城から出陣しなかったため、無事ロンドンに到着することができ、王に復位することができた。モンターグ侯は兄のウォーリック(Warwick)伯と共にエドワード4世に反対する側であったが、幼馴染のエドワード4世に戦闘を仕掛ける意図が無かったのだ、と当時の年代作家が書いている。

 

Pontefract 城 近くの町:

  北東に約40kmの ヨーク(York) 情報

 

 

関連URL

 

Pontefract Castle (Wakefield Council)

http://www.wakefield.gov.uk/CultureAndLeisure/Castlesandmuseums/Castles/PontefractCastle/default.htm

 

Pontefract Castle: The Remaining Ruins of England's Most Feared Castle (Exploring Castle)

http://www.exploring-castles.com/pontefract_castle.html

 

Pontefract Castle  Written and illustrated by Richard Bell (Wild West Yorkshire home page)

下のプレイボタンを押すとイラストいっぱいのツアーが始まる。

http://www.wildyorkshire.co.uk/naturediary/docs/pomfmap.html

 

Pictures of Pontefract Castle (PicturesOfEngland.com)

写真が98枚。最初の絵みたいな黒衣の修道士はPontefract Castleおばけツアーの案内人とのこと。

http://www.picturesofengland.com/England/West_Yorkshire/Pontefract/Pontefract_Castle/pictures/1125920

 

Pontefract Castle Accommodation Information (Britain Express)

http://www.britainexpress.com/attractions.htm?attraction=2770#tabs-5

 

 

番外編

LondonのWest Endに「Pontefract Castle」というパブあり。

http://www.caniseethat.co.uk/ThePontefract/