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Norham 城

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Norham Castle Foor Plan
平面図
 トゥード(Tweed)川に沿って建設された。ダラム(Durham)教会の司教の領地で、対スコットランド国境防衛の役割を担っていた。1121年にラナルフフラムバード(Ranulf Flambard)司教が建設した当時は木造だった。
Norham Castle Keep
1130年代にスコットランドのダヴィッド1世(David I)が2回包囲戦を展開。
1138年にはスコットランドからの攻撃で落城。これに対し1157年にヘンリー2世が石造化。
1215年にスコットランドのアレキサンダー2世(Alexander II)が攻撃したが、この際は攻撃を耐えている。
1318年から22まで3回スコットランドが攻撃するが落城しなかった。当時の城代はトマスグレイ(Thomas Grey)。
1327年にスコットランドは包囲戦の後、城を占領したが、ダラム司教により取り戻された。

記録に残る大きな戦いだけでもこれだけあり、戦闘が繰り返されていたために、当時からイングランドで一番危険な場所と言われていた。

 15世紀半ば、薔薇戦争時(The Wars of the Roses)にはスコットランドに亡命したランカスター(Lancaster)王家のヘンリー6世がスコットランドの支援を受けてイングランドに侵入。ヨーク(York)王家のエドワード4世に敗れてこの城でイングランドとスコットランドの休戦条約締結された


 1513年、スコットランドのジェイムズ4世(James IV)はイングランドとのフロドン(Flodden)での戦闘の帰りに城を攻撃。巨大な大砲のモンスメグ(Mons Meg)が城壁を破壊した。

 

 ジェイムズ4が使用したモンスメグ(Mons Meg)は1449年製で砲門直径が22インチの大砲。1457年にオランダからスコットランドのジェイムズ2世(James II)に届いている
 非常に重く、当時の運送技術では15マイルしか動かせなかった。現在エディンバラ(Edinburgh)城に展示されている。
 城はモットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式のノルマン征服王朝後期の城。石造化とともに矩形の城となる。1420年代に最上階が付け加えられ、5階建てになった。

 天守(Keep)は城壁(Curtain Wall)の一部をなし、モット(Motte)の最上部分を囲んでいる。

Norham

Norham城イラスト
Norham城イラスト

Norham 城 近くの町:

  南西に30kmのケルソー (Kelso) 情報

 

 

関連URL

 

NORHAM CASTLE (English Heritage)

http://www.english-heritage.org.uk/daysout/properties/norham-castle/

 

Norham Castle (Undiscovered Scotland: The Ultimate Online Guide)

http://www.undiscoveredscotland.co.uk/berwick/norhamcastle/

 

Norham Castle Accommodation Information (Britain Express)

http://www.britainexpress.com/attractions.htm?attraction=3060#tabs-5